古(いにしえ)を歩く

旧柳生街道を歩き「この世の地獄」をその肌に感じる

先の春日山の裏(東側)には大杉谷からはいる「柳生街道」は一面に石を敷いた敷石道です。
関西では生駒山の暗峠(くらがりとうげ)参道や、箱根の旧街道も敷石道ですが、柳生街道のものは少なくても鎌倉時代には出来ていたようですので、日本最古の舗装道路であったと言えます。

この春日山の東南の柳生街道には地獄谷という地名があります。
このコースは春日大社の南、新薬師寺辺りからこの地獄谷まで行って戻る約3kmのコースです。

少し寂しい雰囲気の街道を歩いてさて地獄谷につくと、傍らに1mあまりの自然石に大日如来を刻んだもの(寝仏と言います)がころがっていますし、さらに上に行くと高さ2メートルほどの岩に阿弥陀仏の来迎を彫った摩崖仏があります。

さらにその東には高さ5メートルほどの巨岩に朝日観音(釈迦と二仏弟子を彫ったもの。
朝日を浴びると鮮やかに見えるから)があり、これには文永2年(1265年)の銘があります。

そもそもこの辺りにはこの地をインドの仏跡霊鷲山(釈迦が法華経を説いた山)に例える伝承があり、地名にも忍辱山(にんにくせん)とか鹿野園(ろくやおん)など、釈迦が生きている間のインドの仏跡を写したものと考える思想から出たと思しき地名が多いです。
このことは既に鎌倉時代の奈良の人々の死後の世界があったとも言えます。

この地は土地の伝説では、むかし庶民の死体を捨てた人捨て場であったと言われています。

京都の化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)と同じく、この世に生まれ、幸少ない人生を終えた庶民が最後に辿り着いた終焉の場だったと思われます。

野犬や鳥などに食い荒らされていく酸鼻の姿を見た人たちが、友人、親族を亡くした肉親の悲しみがこの地を「地獄谷」と名付けたと考えれば、死だけでなく生についても深く考えてしまいます。

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