平成27年1月に発見され、今年3月には羨道の痕跡が見つかり、1辺70メートルの方墳と確定され、橿原考古学研究所が「舒明天皇の初葬墓の可能性が高い」と発表。
「石舞台古墳に近い規模の大型石室だった可能性がある」とした、明日香村川原の小山田古墳(7世紀中)。
ただ、これには、当時天皇家に匹敵する力を誇った蘇我氏の根拠地だった甘樫丘に近いこともあり、日本書紀に登場する「蘇我蝦夷の大陵(おおみささぎ)」とみる研究者も依然多く、考古学界を二分する大論争になっている。
橿考研は今後、石室の中心で石棺を置いた玄室の調査を進める方針で、被葬者の推定につながるか期待される。
ソース:http://www.kashikoken.jp/20170829/