コラム・豆知識

大化の改新の詔 日本の人が基準の文化のはじまり【飛鳥時代】

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日本では単位は人間が主体で決められてきました。

欧米で戸惑うのは単位の一貫性に欠けると感じる方も少なくないでしょう。
しかしこの人間主体、実は民族としての幸福に繋がっていると考えるのは早計でしょうか。

例えば豊臣秀吉の太閣検地の際、1反を300坪にすることが決まりました。
実はこれは大きな変革で、それまでの1000年間、日本では1反は360坪でした。これはどのように決められたのでしょうか。

大化2年(646年)に「改新の詔」が出されました。
大化の改新と学校で学びます。
実際なにがあったのかはあまり知られていませんが、その中に重要なことが決められていました。

「田は長さ30歩(ぶ)、広さ12歩を“段”とせよ。そして10段を“町”とせよ」。
お気づきのように「段」とは「反」のことですが、要は贅を徴収するにあたっての基本的な田んぼの広さを決めたのです。

その時に人々はこの「1反」と言う広さで収穫される米の量が、1人の人間が1年に食べる米の量だという基準を持ったのですね。

よく米1合といいますが、10合がいわゆる1升、10升が1斗、10斗で1石(1000合ですね)ですので、これを360日で割って1坪。
1人の人間の1日分の米の量になります(読むのが面倒でしょうが)。
つまり人間に直結した単位の作り方が、誰にもイメージしやすいことに繋がっていたと言えるでしょう。

そう考えると秀吉の検地で360坪を300坪にしたことは、大変な20%の大増税になるのですが、当時これはあまり問題ではありませんでした。

それは1000年の間に、米作りの技術が進歩して、それくらいの増税はあまり重税感がなくなっていたこともあるでしょうが、やはり量のイメージがし易かった背景があったと思います。
日本の為政者は常に民百姓のことを考えていました。これは幸せな事だと思いませんか。

  • この記事を書いた人

中島聡


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